発達障害だって、頑張るもん!

発達障害だって、頑張るもん!

注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子を持つママ・ココです。子どもを通して学んだ発達障害児への対応、工夫、その他色々な情報をたくさんの人と共有できたらいいな、と思っています。

 

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【小学生の集団登校・3】 集団登校をやめることで失うもの

緑色の背景に学校へ登校する子ども達

 

こんにちは。ココです。

注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。

 

今日は様々な問題があって集団登校をやめることを決めたはずなのに、あれこれ思い悩んでいた私の気持ちについてお話していきたいと思います。

 

●  集団登校。やめると捨てなければならないものがあるの?

 

 

過保護なのか正解なのか

 

通学中に階段から転げ落ちて鼻血を出して帰ってきたことを境に、集団登校をやめ、車で送迎しようと決めた私。

 

coco-disorder.com

 

しかし…。

 

これって過保護?やり過ぎの擁護で、息子が自立する機会を潰したりしていない??

車に乗るたび、こんな風に私は自問自答ばかりしていました。

 

実は数年前に、身近な小学校で横断歩道上で轢かれて亡くなった子がいた、というショッキングなニュースがママ友との話題にのぼっていた経緯があったので、「そのうち悪戯も落ち着くわ」なんて何だか安易に考えてはいけないような気がしたのです。

 

ランドセルをわざと後ろから押し下げて転ばせるのは、横断歩道上が多かったことも心配の一因でした。

ラッシュ時で1分1秒を争っている車が列をなす横断歩道です。見切り発車の若い運転手も多い。そんな「危険個所」を敢えて選んで転ばせる子ども達に、注意叱咤は全く効きません。

 

それに「嫌なことを説明できない」のは性格もあるでしょうが、頭の中にあるものを表現することが難しいという、様々ある発達障害の特性のひとつだということも思慮していました。

 

それがただの性格ではなく「特性」だとするならば、習得するのは時間がかかるでしょう。習得するまでの時間は、もしかしたら6年生までかかっちゃうかもしれません。

定型発達ではないですからね。

 

うさぎのアイコン





この頃は小学1年生だったけど、中学生になった現在も、「説明できない」特性はまだ克服できていないよ。感じたことや嫌だったことなど、「感情を伴った出来事の説明」は、息子くんにとって獲得するのがとても難しい能力みたい。

逆に科学的事象、歴史的事実などは専門用語を使ってよどみなく説明できるんだよ。この凸凹さが、発達障害たるゆえんだよね。

 

最優先事項は「自傷行為をなくす」こと

 

ストレスをなるべく取り除いてあげて、とにかく癇癪の回数を減らすこと。それが癇癪の規模を小さくする、一番の方法なのではないかな…。当時の私にはそう思えました。

他にも癇癪が増え続けると、自傷行為も増えていくような不安もありました。

 でもやっぱり迷いがあって…。病院の担当のお医者さんに相談してみました。

 

先生は私の質問に、

「それで正解だと思いますよ。まず癇癪を自分でコントロールできるようになることが、彼にとって一番の課題ですからね」と肯定してくれました。

 

医師と話をする女性

 

誰かの肯定は、後ろを振り返ってばかりの気持ちを明日に向かわせてくれます。

これでいいんだ。この方法で間違いはないんだ…。そう自分に言い聞かせて、この頃は毎朝車を出していました。

 

その後高学年になって再び集団登校に参加するようになるのですが、この間は4年半くらいありましたね。登校も下校もですから、とても長い期間を要しました。

 

捨てたのは「可能性」ではなく「ひとつの選択」というだけ

 

社会性を培う。適度な運動。雨でも雪でも歩いて自力で学校に向かおうという継続した自主性。

集団登校をやめるということは、それらを捨てなければならないことなのだと思っていました。

 

転勤してきて、せっかくこんな経験(集団登校)ができる地域に住んでいるのに、それを自分から投げ捨てるなんて…。

そう思っていたのです。

 

特別支援クラスの子供達でさえ、大半は集団登校をしてきます。だから尚更強迫観念に駆られるようにそう思っていたのですが。

 

集団登校をやめることは、それらを学習する可能性を捨てる、ということではないのだと、ずっとずっと後になってから気が付きました。

捨てたのは「可能性」ではなく、いくつもあった「選択肢のひとつ」だっただけ。

彼らの心と身体が十分準備できるようになったら、みんなより数年遅くとも、学び直すことはできるのです。

 

まとめ

 

経験は宝石のようです。

様々な経験は、子供達にとってキラキラ光る宝石箱そのもの。

 

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でもその宝石箱は、定型発達ではない子供達にはとても重くて、何箱も重ねて持ち歩けないんですね。

小学4年生になり、皆が10箱重ねたリュックを背負って笑談しながら歩いているのに、息子はたった3箱を、重そうに両手で抱えて息を切らしている。

 

それでも。3箱はゲットしたんです。

時間はかかるけれど、息子は一箱一箱の重力を両手で感じながら、皆より何倍も遠い道のりをこれからも歩いていくでしょう。

 

最短距離は無理だけど、もしかしたらその道のりには絶景がいくつも存在しているかもしれません。

 

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一緒に歩く私たち親は、絶景に絶叫!したりする機会もあるでしょうが…。

 

そしていつか。

皆さんがお子さんと出会ったそれぞれの絶景(絶叫??)写真を「こんなだったのよー」なんて笑いながら見せ合う機会が、どこかで出来たらいいですね。

 

私も絶景探して、明日からまた頑張ります! 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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