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発達障害児のママ・ココのリアル育児!

それって発達障害ではなく、HSC? ~後編~

こんにちは!ココです。

来ていただいて、ありがとうございます。

 

今日はHSCのお話、後編です。

 

● カテゴリー分けって、そんなに大事?

 

 さて、発達障害とHSCとの違いがよく分からないまま、本を読み進めていった私。

そのうち私は、自分の思考に一種の違和感を覚えるようになってきました。

 

 


HSCはADHD自閉症スペクトラム障害とは違う、疾患ではない、敏感すぎるという特性を持つだけだ…。

そりゃあ「うちの子は発達『障害』かも…」と悩んでいるママのうち、このHSCにしっかり当てはまる場合は、「うちの子、障害じゃなかったのね!」と、心の中の重い枷がバン!と外されたような気分になる方はたくさん出てくるでしょう。
でも…。

 

そもそも、HSCだとか、ADHDだとか。発達障害だとか、「ただの敏感過ぎる子なだけ」だとか。そんなカテゴリー分けを、なぜしなければならないのでしょう

 

あまりにも自傷行為が激しくなってきて、何種類もの薬を試していたころは、「ADHDなのか、ただの「強く表面に出過ぎた性格なだけ」なのか、それとも自閉症なのか…。
そんな「診断名」にこだわり続けていた私でした。

 

なぜならば、障害の種類によって、使用する薬も異なるからです

ADHDにはADHDの、自閉症には自閉症の。それぞれの脳の機能の困難さが違うため、それを補助する薬も当然違ってくるわけです。

 

息子の特性は、お医者さんが診断するには微妙なところが多すぎて、半年以上診断名はつきませんでした。

私は早く、ただの特性なのか、診断名のつく障害なのかが知りたくて、よくお医者さんにせっついていました。親として、その診断名に沿った、最適な対応を一刻でも早くしてあげたかったからです。

 

お医者さんは、私によく言っていました。「お母さん、診断名はそれほど重要ではないんですよ。彼が何を困難としているか。それを見つけることが一番大事なんです」

 

その頃はそれをもどかしいとばかり思っていましたが。今なら分かります。

 

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息子には「その他大勢の子供たち」とは違う、困難さがあるだけ。それも、「その他大勢」とは、集団で同じことをすることが好まれる、日本の中では、です

 

一斉に教壇を向いて、机にじっと座っていることを強要される日本では、息子は「落ち着きがなくて困った子」ですが。

アメリカやヨーロッパのなかでは、教室の好きな場所で、好きなぬいぐるみを持ったまま授業を受けるということを容認されるような学校も多く存在します。

 

教室のドアを開け放して、廊下に置いた机で授業を受ける子。いっそみんなが一緒に床に座って、授業を受けるのを楽しんでいるクラス。そこにいる皆が、「障害による困難さ」をおおらかに受け入れているんですね。

もしそんなところに住んでいたとしたら、息子はそれほど「困った子」ではなかったでしょう。

 

ストレスが少ない環境では、癇癪もおのずと回数が減ります。もちろん、完全になくなるわけではないでしょうが、少なくとも自傷行為にまで発展する規模の癇癪は、ほとんどなかったと思います。

それは「自分は他の子と同じようなことができない」「それができない自分がダメなんだ」と自責の念を強める機会が少なくなるからです。

 

人は、カテゴリー分けが大好きです。特に和を重んじてきた、島国日本人はその意識が強いようです。

それゆえ、自分たちとは違うカテゴリーに振り分けた者を批判し、排除、あるいは同じ色へと染色したがるのです。

 

発達障害は、人を振り分けるカテゴリーの一つとなりつつあります。でも、「人を分類するカテゴリー」って、必要なのでしょうか。

 

黒人とか、発展途上国とか。有名大学卒業とか、落ちこぼれ社員とか。駆除対象生物とか、絶滅危惧種とか。
私たちは同じ地球という、ひとつの惑星に生きているのに。

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ひとの心や脳のアンバランスさなんて、切り開いて数値化できるものではありません。ADHDでも自閉症でも、HSCでも。その他大勢とは立っている場所の高さが違うだけです。立っている場所の高さが違うからこそ、そこから見える景色も違ってくるのです。

 

草原に立っている人が見えるキリン、しゃがみ込んでいる人が観察するアリ、岩の上に座っている人が見上げる虹…。

彼らが見えるものが違うのは、当然のことなのです。

 

でもね。だれかがひとこと、「ほら見て!虹だよ」と言ってくれたら。

みんなは立ち上がり、その顔をあげて、同じように美しく空に架かる虹を見ようとするでしょう。

視点を変えさえすれば、自分が見えるもの以外の、美しいものを見ることができるんです。

 

息子だって、お医者さんが変われば診断名が変わってきます。
ADHDでもHSCでも自閉症でも。何でもいいじゃない。カテゴリーなんて、必要ない。息子は、ずっと妊娠できなかった私たちのところにやってきてくれた、たったひとつの宝物、ってだけだもの。

 

今ならそういって笑えます。こんな風に思えるまでは、数年かかったけど。

もしカテゴリーがあるとするならば。「いま、ここに存在しているもの」。このひとつのカテゴリーだけで十分じゃないのかな。

そう思うのです。

 

 

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