発達障害だって、頑張るもん!

発達障害だって、頑張るもん!

注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子を持つママ・ココです。子どもを通して学んだ発達障害児への対応、工夫、その他色々な情報をたくさんの人と共有できたらいいな、と思っています。

 

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【発達障害児の一番病って?・4】 僕の順位へのこだわりを緩和させた方法

ピンクの背景にマントを羽織っている男の子

 

こんにちは。ココです。

注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。

 

今日は発達障害の子供たちによくある、勝敗へのこだわり「一番病」。息子がどうやってそれを緩和していったか…というお話です。

 

● 一番病への対策。それは「繰り返し諭すこと」。…でも勿論「こだわり」が完全になるなるわけではありませんが。それでも緩和することはできます。

 

 

勝敗をつける機会が多過ぎると気持ちが煽られやすい

 

幼稚園の中頃までは、息子はおっとり型でした。勝敗もあまり気にすることがありませんでしたが、転勤に伴い転園した幼稚園に入ってしばらく経った頃から、勝敗や出来不出来に次第に反応するようになってきました。

 

最初に入園していた幼稚園は戸外で元気に遊ぶことが主体のところだったので、かけっこやゲームがあっても皆と「楽しく過ごすこと」に重きを置く雰囲気がありました。

 

こだわりもある程度はあったのでしょうが、先生が「息子くん、手を振って走るの上手だったねえ」など、勝敗を意識しない声掛けが多かったこともあったでしょうし、コンクールや「○○大会」などという順位を競う行事がなかったことも大きかったのだと思います。

その頃は特段勝敗に関してかんしゃくを起こすことはありませんでした。

 

そんなおっとりとした息子が「1番」や「満点」を意識するようになってきたのは、転園して1年経った頃から。

体操競技大会や習字コンクール、音楽コンクールやダンス競技など、とにかく勝敗をつけて子供と親のやる気を限界まで伸ばすことに熱心な幼稚園に転園してからでした。

 

勝敗をつけることで伸びる子ども達は多いのかもしれませんが、発達障害児の子達にはプラスの効果はあまりないように思います。

この頃から息子が発達障害だと分かっていたら、もっと違う選択をしたのにな…といつも後悔してしまう、私の過去の選択間違いです…。

 

coco-disorder.com

 

早期に発達障害だと発見されるメリットは、こういった「親の選択肢」を広げることもあるかと思います。

 

一番じゃないことを受け入れるのには相当な時間がかかる

 

1番への固執はその後数年間でどんどん上向きになっていき、いくら周りが「でも90点なんてすごいよ」「負けちゃったけど、あと1点だったよね。惜しいよね」「ただの鬼ごっこだもん、楽しかったんだからいいんじゃないの?」

そんな言葉をかけても一向に気持ちがおさまることはありませんでした。

 

奇声を上げ、暴れ、もう自分でもどうしていいのかわからないほどその怒りという感情に毎日毎時間振り回されているようでした。

 

負けるたびに癇癪を起こす息子。私は何度もお話しました。

テストは「これまでどのくらい理解していたのかを自分で確認するためのもの」。

トランプなど勝敗があるゲームは「ゲームはみんなで『プレイする時間』を楽しむためのもの」。

 

運動会やマラソン大会などの競技会は「運動が得意な子が『お披露目』できる機会。君だってかけっこは遅いけど、水泳は毎年速くて、みんなにすごいね!って言われるでしょう?勉強はできないけど、運動だけは!って子もいるからね。みんながそれぞれの『いいところ』を確認する機会なんだよ」。

 

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ほらね。みんな違うけど、みんな可愛いでしょう?

 

そんな話をすると「うん。…わかる」

そう言ってうなだれ、「次は間違ったところが書けるように、もうちょっと漢字練習する」「Aくんはすっごい足速いけど、泳ぎはダメなんだよねー」

 

そんなことを言いながら、時間さえ経てば毎回気持ちを切り替えることができるようになるまで5年かかりました。

もちろん気持ちがおさまるまでは何時間も何時間もかかりますが。(場合によっては数週間かかります…。)

 

それでも「勝ち」への執着は消えない

 

こうして毎日辛抱強く諭してきましたが、「勝ち」への執着は下降する気配は全くありませんでした。むしろ、学年が上がるごとに強くなっていくだけ。

 

考える女性のアイコン





君だけが毎回勝ってたら、一緒にプレイしていた子はどんな気持ち?つまんない!って思わない?

 

(自分ルールを勝手に作って、自分が有利になるようにゲームを進めて勝とうとする)

 

うさぎのアイコン





トランプやドッジボールで負けて、息子くんが癇癪を起こしてばかりいたら、お友達は息子くんと遊ぶのがそのうち嫌になっちゃうよね?

 

(ボールが自分に当たった途端、トランプでゲームがまだ途中なのに1人が勝って抜けた途端に癇癪を起こしてその場をめちゃめちゃにする。他の子はまだゲームの途中なのに、もうゲームを続けるどころじゃない)

 

うさぎのアイコン





毎回周りが息子くんに遠慮しているから勝っているんだ、って思うと、そんなゲームは何だかつまらなくなるよね?

 

(癇癪起こすことが分かるので、最初から息子にドッジボールのボールは当てないようにクラスの子は苦戦する。ADHDもあるため運動音痴なのにやたらとうろうろするので、逆に当てないようにするのが至難の業。トランプも始めからジョーカーを息子に配る。当然彼が勝つが、ジョーカーを持っていることは全員周知なのでゲームそのものが楽しくない。楽しいのは始めからジョーカーを配られて100%勝利することが分かっていて、余裕な笑みで勝つ息子だけ)

 

そんな話を何十回も何百回も話しました。

 

一番病への対策は、結局「柔軟な考え方」「多方面からの視点」。それを繰り返し繰り返し話してあげるしかないような気がします。

 

原っぱで座ってお話する親子

何百回言われても、なかなか出来なくて…。ごめんね、ママ…。

 

「繰り返し教える」ということが「教育」だ

 

周りの人の気持ち。ゲーム自体を楽しむ、という考え方。

途中で負けそうになっても投げ出さないでやっていると、一発逆転!っていうこともあるんだから、あきらめないで最後まで頑張ってみること。

 

定型発達の子供たちが、遊びや学校生活の中で学びながら習得していくこれらの概念。しかし発達障害のこの子たちは、放っておいてもそれをなかなか習得できません。

そもそもモノを見る切り口が私たちとはかなり違っている場合が多いのですから、一般的な概念を学ぶのが難しいというのは、当然といえば当然なのですが。

 

でも正直これまでの間、こんな地道な努力で果たして効果はあるのだろうか?

なんだか階段を駆け上がっていくように1番への執着心が上昇しているだけなような気がするんだけど…。

そう思ってくたびれてもいました。

 

ですが。そのたびに私には思い出している言葉があったのです。

「5回でだめなら10回。10回でだめなら30回。30回でだめなら100回。繰り返し繰り返し教える。それが『教育』というものですよ」

これは母が新米の保母だった時に、園長先生から言われた言葉だそうです。

 

「全くあの子は、何回言っても給食の時間にみんなのお椀をわざとひっくり返すんです」

そう嘆いた母に、園長先生が言ったそうです。

 

「先生。それは何回言いましたか?」

「え、5回くらいです」

「5回でだめなら10回言ってください。10回でだめなら30回。30回でだめなら100回。100回でもだめなら、わかるまで何回でも言うんです。それが『教育』というものですよ」

 

うさぎと話す男の子

100回呼ばれたら、うさぎの僕のだって名前、覚えるよ!100回、頑張って!!

 

こんな忙しいのに100回も言えるかっ!その時は苦笑いした母だそうですが、今この歳になるとそうだなあ、それが「教育」なんだろうなあ…って思うのよ。

そう話してくれました。

 

教育に近道はない

 

一般的感覚からちょっとズレのある発達障害の子供たちに根気よく教え続けることは、本当に骨が折れます。

私たちの「常識」と彼らの価値観はどこまでも平行線なような気がして、親であるのに萎えそうになってしまうからです。

ですが、教育に近道はないのです。

 

100回。100回までは頑張って諭し続けよう。

一番じゃなくても、満点じゃなくても。あなたの価値は変わらないのだから。

その真実を伝え続けるのは、親として一番大切な仕事なのだから。

 

まとめ

 

私は腹を据えて取り組みました。違う例を挙げては何度も諭すことを。

そして5年。

 

「10位だ!頑張ったね!」「…うん。来年は5位になるんだ…」

拳で机をドンドンならして苛立ちを表しながらも、数十分後には頑張ってボソリ…とそんな台詞を吐くようになりました。

 

10回のうち2回ほどしか、こんな風に癇癪の渦を握り潰しているような答えは返ってきませんが。(残り8回はやはり激しい癇癪を起こします…。)

 

それでも、2回は不本意ながらも結果を認めるようになり、3回は大会を途中で棄権するようなことがなくなり、学力テストもボイコットせずに仕上げることができるようになりました。(問題を解いている途中、満点をとれなそうな気配がした途端に癇癪を起こして席を立ち、全教科テストのボイコットを繰り返していました…。こうなると正確な本人の学力が測れないため、1年に1度ほどはせめて学力テストが受けれるようにと、病院でも学校でも色々苦肉の策を投じていました)

 

ここまで長かったし、これからも諭し続けなければならないでしょう。

ですが確実に成果は出てきたのです。

 

気の遠くなるような努力ですが、その努力は必ずこの子たちの未来を明るく照らす光となります。

ね、一緒に頑張りましょう。

 

「30回でだめなら100回。それが教育というものです」

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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