発達障害だって、頑張るもん!

発達障害児のママ・ココのリアル育児!

幼稚園選び、何を基準にする? ~後編~

こんにちは!ココです。

来ていただいて、ありがとうございます。

 

さて、私的には失敗だったな、と後悔した幼稚園選び。それでも、それぞれのメリットは確かにあります。

 

● 遊び主体の幼稚園と教育主体の幼稚園、それぞれのメリット

 

発達障害といっても、100人いれば100通りの困った感。息子には「教育主体」の幼稚園は合いませんでしたが、 人によってはかえって良い結果を生むことだってあります。

今回は、私が経験した範囲で言える、それぞれのメリットを書いていこうと思います。

 

まず、教育主体の幼稚園は。言わずもがな、小学校前の早期訓練ですね。

 

小学校でやるマット運動、縄跳び、跳び箱、水泳などの体育系

鍵盤ハーモニカや太鼓、木琴など楽器の演奏に加え、楽譜を読む、発声などの音楽系

時計を読む、平仮名、カタカナなどを読み書きする、足し引き算、九九などを覚えるなどの勉強系

アルファベットの読み書き、英会話、リスニングなどの英語系

絵画、クラフトなどの美術系

料理、裁縫などの家庭科系

 

息子の幼稚園でも、上記の系統をほぼ網羅した活動をしていました。

これだけ早期にやっていれば、いざ小学校に入ったときにすんなりできる確率は上がりますよね。4月から突然、幼稚園とは全く違う小学校生活が始まっても、ストレスが少ない状態で、しばらくは過ごせます

 

実際、鍵盤ハーモニカや水泳などは、特に事前にやっている、やっていないの差が歴然とします。全てが初めてのオンパレードである小学校では、定型発達の子でもストレスが過度になってしまって大変なのですが、ちょっとコツのいる「鍵盤ハーモニカ」と「水泳」は、事前にやっていると相当ラクなようですね。

 

息子は幼稚園の頃は鍵盤ハーモニカ、全く演奏しません(できません)でしたが、鍵盤の位置、息を吹き込みながら指を動かす、ある程度の音階、などの基礎知識は頭に入っていたようで、1年生の授業参観では難なく演奏していました。

(わかる節だけね(;´∀`) )

 

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これが事前にやっていなかったら、「できない」劣等感が更に加速してしまって、2年生になっても出来ない(参加しない)まま、学年を終えていたのではないのかな、と思います。

まあ、息子の地域は前述した通り教育熱心な所なので、皆これが昨日までの幼稚園児か?!と思うほどハイレベルな子がわんさか居たので、有利感は全然なかったのですが…。

 

水泳に関しては、泳げる、水に顔をつけることさえ無理!というような差がとても大きいので、「水慣れ」しているだけでも違うかもしれません。

 

知人の小学校では、勉強もスポーツも容姿もトップクラスの子がいたんだけれど、水泳だけはなかなか習得できずに、そのうち不登校になってしまった、というケースがあったそうです。彼はスイミングスクールに即座に入り、割とすぐ泳げるようになったそうなのですが、最初のつまずきがどうにも許せなかったみたいです。

 

発達障害の子は、もともと何か習得するのに困難な場合が多々あるので、ある程度の早期訓練は、性格によってはプラスに働くこともあるかもしれませんね。

そして、幼稚園の段階で早期に「発達障害」に気付くきっかけになる可能性は、後者より高いかもしれません。

 

対して、遊び主体の幼稚園のメリットは。

私が思うに、「幼稚園の間だけは」それほど劣等感なく過ごせる時間が作れる、というところが一番じゃないかなー、なんて思います。

 

一斉に座って、一斉に何か同じことをしなければならない教育系の幼稚園だと、どうしてもその落ち着きのなさが目立ってしまい、3歳頃から既に親も子供も「周りと同じようなことができない」という引け目を感じながら何年間か過ごさなければならなくなるかもしれません。

しかし、遊びが主体となっていれば、その行動力は「非常に元気がいい」くらいで留まる可能性が高いですね。

 

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ある小学校では、発達障害の支援クラスの子たちに、毎朝軽い運動をさせてから授業に入るようにしたら、落ち着き度が格段に上がった、という報告があったそうです。

頭の中がすぐにパンパンになってしまう彼らには、適度な運動は良い効果を生むようです。

 

なので、特にパワーみなぎる幼稚園時代、頭を使う時間以上に体を動かす時間が多くとれる遊び主体の幼稚園は、発達障害の子供たちにはうってつけ、なのかもしれません

 

事実、遊び中心の幼稚園にいた頃の息子は、座っている時間はちゃんと座っていられました。

自己否定感なんて、そんな幼い頃から蓄積させるものではないですからね。

 

早期訓練で、入学後にストレスが少なく過ごせるようにした方が良いか。幼稚園の間は何も考えず、元気に体を使って楽しい記憶をたくさん貯め込んでから、入学に挑むか。

その子に合った幼稚園を、できたら選んであげたいですね。

 

私は二度目の幼稚園選びは失敗だったな、と思いましたが、今になって思うと、その経験があったからこそ、無理な教育計画を息子に押し付けずに済んだのかな…とも思いました。

 

若くない出産で、一人っ子。若かった頃よりも知識があるため、つい「あれも早期に習わせたい」「英語を幼少からやっていたら、絶対ラクだ」。そうやってあれもこれも、息子に強引に吸収させようとしていたかもしれません。

 

自己否定感を日々募らせていく息子を見て、この子にはこの子の歩幅があるんだ…。そんな当たり前のことを、痛感されられました。

 

逆に言うと、息子はそんな経験を通して、私に「良質な」子供を育てたいという「エゴ」に気付かせてくれたのかもしれません。

 

子育ては「親育て」。そんな言葉を日々、実感させられます。

 

 

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幼稚園選び、何を基準にする? ~中編~

こんにちは!ココです。

来ていただいて、ありがとうございます。

 

さて、対照的な幼稚園を経験した息子を見て、私が感じたことは…。

 

● 幼稚園。遊び主体か、教育主体か

 

当時5歳だった息子は、転園した幼稚園で、早くも「自己否定感」というものを蓄積することになってしまいました

 

遊びが中心だった以前の幼稚園では、戸外で元気に走りまわることが毎日の活動だったため、息子は他の子たちから突出して変わったところが見えませんでした。

それに、座って何かをするとき、お弁当のとき、列を組んで歩かなければならないとき。際立って落ち着きがない、という状態もなかったんですね。

 

幼稚園の先生からも、「朝登園したきた時に、カバンを放り投げて遊びに入ってしまうので、カバンはロッカーにしまってから遊ぶんだよ、と教えていますが、なかなか出来ないでいますね」

といった、今考えると発達障害の特徴のひとつである行動を教えられただけで、その他には何も困った感はありませんでした。

 

家庭では「無言で座り込む」癇癪はあったものの、幼稚園ではあまりそういったことは見られなかったようです。

友達との意思疎通もしっかりしているし、立ってお話を聞いてなければならない運動会のときも、普通にじっとしていられました。座って絵も描けるし、活動に加わらない、ということも全くなかったようです。

 

今にして思えば、「しっかり遊び込む活動」が必ず毎日の中に組み込まれていたので、十分に気持ちが発散できていたのではないか、と思います。

 

それに幼稚園自体の活動も、「誰かと競う」ようなものが少なかったように思います。なので、子供たちひとりひとりが、「自分はできない」という劣等感を持たずに過ごせたのではないでしょうか。

 

遠足は歩いていける公園での虫取り、夏は園庭での水遊び。戸外での活動が苦手な子は、お部屋で折り紙をしたり、園庭の端っこでたんぽぽケーキを作ったりしていました。

みんなが足並み揃える活動よりも、個々に自由な時間が多かったように思います。

 

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対して、転園した幼稚園は。

気合の入ったクリスマス会の劇練習、音楽祭に向けて、外部から講師を招いた演奏練習、専門の体育指導の先生がついた発表会のある体育競技…。競わせることで、より能力のある子供たちを伸ばしていこう、というような感じでした。

 

保護者もやはり、対照的でしたね。もちろん、幼稚園の教育方針が気に入ってそこに入園させるわけですから、違いが出るのは当たり前なのですが。

「幼児期はお勉強よりも、体使ってしっかり遊んでほしいなー」という大らかな保護者が圧倒的な前者と、「幼児期はどんどん吸収する時期!能力を最大限に伸ばしてあげるのが親の務め!」という、燃え盛る炎のような教育魂の集団が多い後者。

こんなにも世界観が違ってくるんだなあ、と思いました。

 

当然ですが、前者の幼稚園では考え方が似通ったママさんがたくさんいるので、話も弾みやすく、保護者としてもとても居心地が良かったのですが、後者ではそんなママ友達はできませんでしたね。

そもそも子育ての方向性が違うので、仕方ないのですが。

 

誰も知らない土地に転勤してきて、友達もできない、息子の癇癪は激しくなる…。孤独感が毎日のように積み重なってきて、辛かったですね。

 

そんなある日、転園した幼稚園のバスから降りてきた息子が、クレヨンで描いた絵を持ってきたことがありました。

「今日はりんごを描いたの?上手に描けたね」

そう声をかけると。息子は無言で絵を地面に投げつけ、ぽろぽろ涙をこぼしながらお家へと歩き出しました。

びっくりして絵を拾い、理由を問うと、「りんごは赤いんだって。塗り直されたの」

息子の描いたりんごは、多分赤をベースに黒く上塗りされていて、茶色の点々を幾つものせた、確かに毒々しいりんごだったようでした。上からさらに赤いクレヨンでびっちり塗り直されていたので、原作は多分そうだったんだろう、と推測するばかりですが…。

 

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観察の好きな息子は、園児の言う「一般的な」赤いリンゴではなく、自分の目で見た通りの「黒っぽい赤で、茶色の斑点が点在する」りんごを描いたのでしょう。それを「りんごは赤って決まっている。これはりんごじゃない」と、数名に塗り直されたようでした。

 

いくら母親の私が「それでいいんだよ」と言っても、息子は多勢に無勢という言葉を度々噛みしめていたのでしょう。

彼はこれ以降、少しずつ自分の価値観が認められなくなってきました。楽器も出来ない、体操も下手、大好きだった絵さえも否定される…。そして小学校に上がるころには、自己否定感でパンパンになってしまったのです。

 

発達障害だからといって、教育主体のところがいけない、とは言えません。遊びが中心の幼稚園も、教育1本の幼稚園も、それぞれメリットはあるんです。ただ、息子にとっては、教育中心の幼稚園を選んだのは失敗だった、と思いました。

 

発達障害とは知らなかった頃だったので、仕方ないと言えばそれまでですが。

もし幼稚園の頃から発達障害だと分かっていたのなら。もう少し違う幼稚園の選び方もあったのではないかな。そうしたら、自己否定感をこんなに積み上げることはなかったんじゃないのかな…と、今でも考えてしまうのです。

 

次回、後編に続きます。

 

 

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幼稚園選び、何を基準にする? ~前編~

こんにちは!ココです。

来ていただいて、ありがとうございます>^_^<

 

今回は、幼稚園の頃は発達障害があると分からなかった息子ですが、もし、入園前に分かっていたとしたら…?

 

● ふたつの対照的な幼稚園で

 

我が家は転勤族なため、息子は幼稚園を2ヶ所、経験しました。その2ヶ所は、全く正反対な幼稚園

その経験から見た私的な意見ですが、幼稚園選びに悩む方がいらしたら、参考までにご一読くださいね。

 

まず最初に息子が入園したのは、家からほど近い、規模の大きくない幼稚園でした。

 

その地域は、入園する一年前からプレ保育に入っていないと、その幼稚園の入園が困難になる、という所でした。

 

プレ保育とは、月1回の登録制「慣らし保育」です。どの幼稚園も大抵無料で募集していて、ママたちは入れたいなあという幼稚園数ヶ所に登録し、一年間通園する間に、入園させる幼稚園を絞り込んでいく、というスタイルがそこでは通常でした。

 

我が家も例外に漏れず、数ヶ所の幼稚園に登録していました。結果、入園を決めたのは毎日一緒に遊んでいたお友達と一緒の幼稚園。

お勉強や体育、絵画などの教育系は一切ない、どちらかというと「保育園的な」スタンスの幼稚園でした。

 

今時は保育園でも、年長になると平仮名や英語を教えたりするところもあるそうですが、そういった意味では少数派な幼稚園でしたね。

 

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ところで、幼稚園と保育園の違いはこの「小学校に上がるまでの準備教育」です。

 

幼稚園は文部科学省の管轄なので、文字の読み書き、時計を読む、跳び箱やマット運動などの体育教育、楽器演奏などの音楽教育などを日中の活動の中心としているところが多いようです。

 

保育園は厚生労働省の管轄なので、教育ではなく、どちらかというと「どんなお友達とも仲良く遊ぶ」「お昼寝のとき衣服をたたむ」「お箸を正しく持つ」などの、基本的な生活がきちんとできること、しっかり身体を使って遊ぶことに重点をおいています

 

私は自分が保育園の出身だったので、幼児期からの教育にさほど熱心さはありませんでした。(息子は癇癪ばかりで、教育どころじゃないって理由もありますが…)

 

なので、保育園的なその幼稚園でも、不満は全くありませんでした。むしろ、「幼児期は読み書きなどの教育ではなく、しっかり遊び込むことこそが大事」という幼稚園側の考えに大きく頷いたものです。

 

息子は毎日園庭で走り回って遊び、降園後もお友達と1、2時間は遊んでいました。元気いっぱい、楽しそうでしたね。

 

ところが。転勤が決まり、新たに幼稚園を探さなければならなくなって。息子は、今度は「教育中心の」規模の大きな幼稚園に入ったのです。

 

転勤先は教育熱心な地域だったので、どの幼稚園を見に行っても、同じような感じでした。

 

その中でも「ゆるい」感じの幼稚園を選んだつもりではいたのですが。以前の幼稚園とは比べ物にならないくらい、遊びの時間がなくなりました。

座ってワークをやる、展覧会用の絵を描く、楽器を演奏する、縄跳び大会の練習をする…。

 

パパはその頃、「いつまでも遊んでばかりいたら、小学校に入っていきなりじっと座ることなんてできないだろうし、皆が幼稚園で文字とか覚えてくる地域なんだから、今から練習していた方が遅れをとらなくていいんじゃないの?」

と言っていました。

 

私の育った家は放任主義で、子供の頃、勉強についてあれこれしてもらったことはありませんでした。逆にパパは割と出来の良い家系で、勉強については私よりも指導されていたようです。

 

私も小学生の頃から親が勉強に関心をもって何かしてくれたら、もう少し違った道があったんじゃないか…?なんて思ったときがあったので(笑)、そーなのかな、やっぱり「勉強慣れ」も必要なのかな…と思ったりしました。

 

ですが。

発達障害の子供たちは、往々にして手先が不器用だったり、運動やリズム遊びがなかなか出来ないということがあります。脳の機能のアンバランスさが原因なのですが、息子もやはり、楽器演奏や縄跳び、ワークなどが苦手でしたね。

中途入園だったので、1、2年前からやっている他のお友達との差もありましたし、もともと得意ではない上に、やってもなかなか出来ないので、周りの子供たちからも色々言われていたようでした。イマドキの幼稚園児は、びっくりするくらい辛辣な言葉を浴びせかけますからね…。

 

この頃から、息子の笑顔がなくなっていき、癇癪が増え始めました。おっとりとした言葉遣いの癒し系男子だったのに、どの写真を見ても、笑った顔がない状態になっていったのです。

 

このお話は次回に続きます。

 

 

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それって発達障害ではなく、HSC? ~後編~

こんにちは!ココです。

来ていただいて、ありがとうございます。

 

今日はHSCのお話、後編です。

 

● カテゴリー分けって、そんなに大事?

 

 さて、発達障害とHSCとの違いがよく分からないまま、本を読み進めていった私。

そのうち私は、自分の思考に一種の違和感を覚えるようになってきました。

 

 


HSCはADHD自閉症スペクトラム障害とは違う、疾患ではない、敏感すぎるという特性を持つだけだ…。

そりゃあ「うちの子は発達『障害』かも…」と悩んでいるママのうち、このHSCにしっかり当てはまる場合は、「うちの子、障害じゃなかったのね!」と、心の中の重い枷がバン!と外されたような気分になる方はたくさん出てくるでしょう。
でも…。

 

そもそも、HSCだとか、ADHDだとか。発達障害だとか、「ただの敏感過ぎる子なだけ」だとか。そんなカテゴリー分けを、なぜしなければならないのでしょう

 

あまりにも自傷行為が激しくなってきて、何種類もの薬を試していたころは、「ADHDなのか、ただの「強く表面に出過ぎた性格なだけ」なのか、それとも自閉症なのか…。
そんな「診断名」にこだわり続けていた私でした。

 

なぜならば、障害の種類によって、使用する薬も異なるからです

ADHDにはADHDの、自閉症には自閉症の。それぞれの脳の機能の困難さが違うため、それを補助する薬も当然違ってくるわけです。

 

息子の特性は、お医者さんが診断するには微妙なところが多すぎて、半年以上診断名はつきませんでした。

私は早く、ただの特性なのか、診断名のつく障害なのかが知りたくて、よくお医者さんにせっついていました。親として、その診断名に沿った、最適な対応を一刻でも早くしてあげたかったからです。

 

お医者さんは、私によく言っていました。「お母さん、診断名はそれほど重要ではないんですよ。彼が何を困難としているか。それを見つけることが一番大事なんです」

 

その頃はそれをもどかしいとばかり思っていましたが。今なら分かります。

 

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息子には「その他大勢の子供たち」とは違う、困難さがあるだけ。それも、「その他大勢」とは、集団で同じことをすることが好まれる、日本の中では、です

 

一斉に教壇を向いて、机にじっと座っていることを強要される日本では、息子は「落ち着きがなくて困った子」ですが。

アメリカやヨーロッパのなかでは、教室の好きな場所で、好きなぬいぐるみを持ったまま授業を受けるということを容認されるような学校も多く存在します。

 

教室のドアを開け放して、廊下に置いた机で授業を受ける子。いっそみんなが一緒に床に座って、授業を受けるのを楽しんでいるクラス。そこにいる皆が、「障害による困難さ」をおおらかに受け入れているんですね。

もしそんなところに住んでいたとしたら、息子はそれほど「困った子」ではなかったでしょう。

 

ストレスが少ない環境では、癇癪もおのずと回数が減ります。もちろん、完全になくなるわけではないでしょうが、少なくとも自傷行為にまで発展する規模の癇癪は、ほとんどなかったと思います。

それは「自分は他の子と同じようなことができない」「それができない自分がダメなんだ」と自責の念を強める機会が少なくなるからです。

 

人は、カテゴリー分けが大好きです。特に和を重んじてきた、島国日本人はその意識が強いようです。

それゆえ、自分たちとは違うカテゴリーに振り分けた者を批判し、排除、あるいは同じ色へと染色したがるのです。

 

発達障害は、人を振り分けるカテゴリーの一つとなりつつあります。でも、「人を分類するカテゴリー」って、必要なのでしょうか。

 

黒人とか、発展途上国とか。有名大学卒業とか、落ちこぼれ社員とか。駆除対象生物とか、絶滅危惧種とか。
私たちは同じ地球という、ひとつの惑星に生きているのに。

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ひとの心や脳のアンバランスさなんて、切り開いて数値化できるものではありません。ADHDでも自閉症でも、HSCでも。その他大勢とは立っている場所の高さが違うだけです。立っている場所の高さが違うからこそ、そこから見える景色も違ってくるのです。

 

草原に立っている人が見えるキリン、しゃがみ込んでいる人が観察するアリ、岩の上に座っている人が見上げる虹…。

彼らが見えるものが違うのは、当然のことなのです。

 

でもね。だれかがひとこと、「ほら見て!虹だよ」と言ってくれたら。

みんなは立ち上がり、その顔をあげて、同じように美しく空に架かる虹を見ようとするでしょう。

視点を変えさえすれば、自分が見えるもの以外の、美しいものを見ることができるんです。

 

息子だって、お医者さんが変われば診断名が変わってきます。
ADHDでもHSCでも自閉症でも。何でもいいじゃない。カテゴリーなんて、必要ない。息子は、ずっと妊娠できなかった私たちのところにやってきてくれた、たったひとつの宝物、ってだけだもの。

 

今ならそういって笑えます。こんな風に思えるまでは、数年かかったけど。

もしカテゴリーがあるとするならば。「いま、ここに存在しているもの」。このひとつのカテゴリーだけで十分じゃないのかな。

そう思うのです。

 

 

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それって発達障害ではなく、HSC? ~中編~

こんにちは!ココです。

来ていただいて、ありがとうございます>^_^<

 

今日は前回のHSCの続きです。

 

● HSCの分類って、どーいうものがあるの?

 

さて。ADHDアスペルガー症候群自閉症などの発達障害に誤診されやすいけど「違う」というHSC

発達障害ADHD自閉症などの分類があるように、実はHSCの中にも分類があるのだそうです。以下、「ひといちばい敏感な子」の著者の分類です。

 

1.   用心システムが強いタイプ

2.   冒険システムが強いタイプ

3.  ふたつのシステムがどちらも強いタイプ

4.  ふたつのシステムがどちらも弱いタイプ

   
この本の著者のエレーン氏は、動物のシカに例えてこれを説明しています。
 
 
 
1の「用心システムが強いタイプ」は、周りの音や匂い、気配を細やかに読み取ってから、茂みの向こうにある青々とした草が広がる場所へ注意深く食事をしに出ていくようなタイプ。
 
2の「冒険システムが強いタイプ」は、1とは逆に、周囲の気配をさほど確認せずに「あ、美味しそうな草だ!」といってポーン!と飛び出していきます。
 
3の「ふたつのシステムがどちらも強いタイプ」というのは、周囲の状況に敏感で、且つ好奇心も旺盛。はむはむ草を食べながら、かさかさっというバッタの動く音にも即座に反応し、パッ!と逃げる。しかし様子を伺って、「なんだ、敵じゃなかったのか」とすぐに飛び出し、また草を食べ始めるような、落ち着きのないタイプ。
 
4の「ふたつのシステムがどちらも弱いタイプ」とは、細かなことは特に気にならず、行動力もそれほどないので、おっとりとした印象を与えるタイプなようです。このタイプはほぼ一般的なひと、ってことなのでしょうか。
 

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ところで、発達障害の中には、ADHDの他に、LD、自閉症スペクトラム自閉症アスペルガー症候群)があります
 
LDとは学習障害と言われるもので、読字障害(読み方困難)、書字表出障害(書き方困難)、算数障害などがあります。
LDの場合はハッキリとした症状があるので、注意深く観察すると見つけることができるようですが、最近統合された自閉症アスペルガー症候群が含まれる自閉症スペクトラム障害の子たちの症状である感覚の過敏さは、HSCとよく似ているので誤診されやすいというのです。
 
ただ、自閉症は人とコミュニケーションを取りたがらないので、コミュニケーションを好むHSCとは違う、と言います。アスペルガー症候群は、その場の空気や相手の気持ちを察することができないので、敏感にそれらを察してしまうHSCとは、やはり違う、とも言います。
 
また、ADHDとの違いにおいては、「優先順位をつけられない、他の刺激に注意を奪われても、すぐに元に戻れない」のがADHDであり、HSCの場合は、落ち着いた環境であるならばむしろそれは得意であることが多い、とされています。
 
息子の場合はコミュニケーション好きですが、空気が読めてるのか微妙なんだけど…と思うときもあるし。
外の刺激に心を奪われちゃったまま、永遠戻ってこないときもあるので、ここはADHDなんだけど、静かな教室ではものの10分でテスト仕上げちゃうんだから、ここはHSCなの???
…とこんな風に、なんだか全然、区別がつきません。
 

そのうち私はだんだん混乱していき、最後には何が何だかわからなくなっていきました。

  

 

 
 
 
 

 

 

それって発達障害ではなく、HSC? ~前編~

こんにちは、ココです。
来ていただいて、ありがとうございます!

 

さて今回は、聞き慣れない言葉。

 

● それはもしかして発達障害ではないかも  ~HSCってなあに?

 

 

発達障害の子供を持っていると、「発達障害」や「自閉症」などという単語の活字に、つい反応してしまいますよね。
私もそんな単語が目につくと「ん?」とすぐに手を伸ばしてしまうのですが、この間、「ひといちばい敏感な子」という本に出会いました。
HSCとは、この本に出てきた名前です。

 

The highly sencitive chailed (ひといちばい敏感な子供) ~HSC

これはエイレン.N.アーロンという方が本にしていて、日本で訳され、私が読んだ本「ひといちばい敏感な子」で内容を把握することができます。

 

 

 

この本によると、子供の約15~20%がこのHSCとして存在するのではないかと言っています。

発達障害とされる領域が全人口に占める割合は、その本や医師によって2~20%と様々な確率で存在すると言われているようですが、これに比べると15~20%って、結構な割合ですよね。子供のほぼ5人に1人が該当することになります。

 

HSCの症状はADHD自閉症アスペルガー症候群などととてもよく似ていて、ADHDを筆頭にこれらの発達障害に誤診されやすい、とされています。

 

え、そうなの?!と思って、つい最後まで読んでしまいましたが、まあ、うちの息子の場合はHSCではないな、という結論に至りました。ガックリなんだか、やっぱりなんだか( ̄▽ ̄;)

 

でも、読んでると本当に混乱してくる内容ではあります。症状が、非常によく似ているんです。
で、今回はADHDとの違いについて。

 

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ADHDとは、ご存知の通り、注意欠陥・多動症ですじっとしていられない多動性、集中力が続かない注意欠陥、思ったことを後先考えずに行動してしまう衝動性が主な症状です。

 

この特性が全て当てはまる子もいれば、注意欠陥の1つだけとか、多動と衝動性の2つ、という子もいるでしょう。
また、その表れ方の強度も人それぞれで、どれかが強く特性として出ていたり、「そう言えば思い当たるかも…」的なゆるゆるっとした状態の子もいたりします。

 

この本でのADHDは、意思決定したり、集中したり、後先を考えて行動したりするのに必要な機能が全体的に欠けている「疾患」という言葉を使っています。
対してHSCは、落ち着いた環境ではむしろそういったことを得意とするそうです。

気が散る要因がたくさんある場合は、圧倒され、興奮してADHDのような「おかしな」行動をとるのだそうです。

 

なんか、ADHD、散々な言われようだな…。(-_-#)
と、ちょっと思いましたが、まあ要するにHSCはADHDと非常に似通っているので、誤診されやすい、ということらしいですね。

 

脳科学的に言うと、HSCは右脳の血流が活発で、ADHDは左脳の血流が活発という違い。

 

でもさ、集中できないけど、個別教室でやらせるとあっという間にテスト仕上げちゃう息子はもしかしてHSC?と、本の途中までは思っていたんですが…。

 

この話は次回に続きます。

 

 

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荷物なんて持ちません!

こんにちは!ココです。

来ていただいて、ありがとうございます>^_^<

 

さて今回は。

 

● 荷物持ち、断固拒否!

 

日常の、些細なことがいちいち気に入らない息子。何かあるたびに、それこそいちいち癇癪を起こします。

 

その些細なことのひとつが、「荷物を持つ」という行為

 

まず朝。その日気に入っていたものをベッドの脇に置いて寝る息子ですが(石やブロック、何かの金具など)、朝起きると、それらの気に入ったモノを抱えてリビングにやってきます。しかし、そのモノが多すぎるとき、彼は「ママーっ!」と呼びつけます。

イラッとするので放っておくと、朝から張り裂けんばかりの大音量で叫び続けます。

 

朝は近所迷惑!うるさいよっ!と駆けつけると、「何で来ないのっ!!」と寝起き一番の癇癪。もう起きて5分も経たないうちに、これです。

自分で何回も持ち歩きたくないんですね、たとえ気に入っているものでも。

 

この「荷物を持ちたくない」主張は、ランドセルを背負うことにも適用します。

玄関で靴を履いたあと、ランドセルを自分で背負うことは皆無。ランドセルをママに担いでもらって、小学校の昇降口までご登校です。

何様??

 

これに月曜日、上靴や体操着なんかあった日には…。「何で持たなきゃなんないのっ?!重いっ!持てないっ!」ぎゃおーっっ!!

 

たまに遊びに来るおばあちゃんに、「女の子でも全部持って歩いているでしょ?」とたしなめられようもんなら、朝の皆様ご通勤時間も関係なく、気が狂ったように吠え続けます。

心底、ぐったりしますよ。(一一")

 

しかも。彼の場合、私が車で御送迎です、小学校の昇降口まで

荷物を持って歩くのは、玄関から駐車場までの20歩と、学校の駐車場から昇降口までの50メートル。

 

本当に我が息子ながら、毎朝腹ワタが煮えくり返る思いです。

 

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幼稚園の頃は、通園バッグをちゃんと自分で持って歩いていたんですが。小学校1年生の頃も、半年ほどは普通に持っていました。

 

体操着はもちろん、夏休みなどの長期休暇あとに少しずつ持っていく、絵の具セットやお道具箱も。

1年生の小さい身体が、背中にランドセルと体操着、右手に鍵盤ハーモニカ、左手に給食袋のいでだちで、よろよろと学校まで歩いていました。ちゃんと普通の子たちと同じように。

 

それがだんだんと多動が目立ち始めてきた頃から、持たなくなってきたんですね。ADHDが、その頃から突如発症したわけではないはずなのに。今思えば、不思議です…。

 

1年生のある日は、担任の先生から電話がありました。「荷物が重い、と泣いて帰らないので、お迎えにきてもらえませんか?」

え???

急いで車で迎えに行ったら、昇降口でぐずぐず泣いていましたね。それまでは普通に持って帰っていたのに、担任の先生も「体調が悪いのかなー?」と心配して、一緒に昇降口で待っていてくれました。

 

私もその日は「風邪の引き始めでだるいのかな?」とか思っていたんですが。

その日以降、ランドセルと運動着袋・給食袋以外は持たなくなり、それ以外の荷物は私がまとめて車で持っていき、担任の先生に最近の様子を聞くついでに、息子の教室まで持っていくようになりました。

 

そのうち徐々に運動着も給食袋も持たなくなり、自傷行為が激しくなってきた頃からは、ランドセルさえも拒否するようになりました。

 

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ただ、例外があって。

学校に送っていくと、やはり親に車で送ってもらっている子がちらほらいるわけです。その中に、黄色いランドセルカバーをつけた1年生がいると…。途端に「早く背負わせてっ!」

怒鳴りながら慌ててランドセルを背負おうとします。…羞恥心か??

 

まあこんな風に、本当に侍女のように身の回りのお世話をし、怒鳴られ、褒められもせず、毎日を過ごしておりました。(BGMはビビディバビディブー♪、ね(*´▽`*) )

 

ところが。ある日から突然、ランドセルを背負うようになったのです!

息子はたくさんの先生方に(いや、学校中か?)、至る所で支援をして頂いているのですが、その先生の一人に昇降口で会ったとき、「ランドセルはお母さんじゃなくて、自分で持つんだよ」と言われたことがありました

 

同じような言葉を幾度も他の先生から言われていたのですが、その先生に息子が特別信頼をよせていたのか、言い方が合っていたのか、それとも「そろそろ自分で持とう」という意思が出始めていた、いいタイミングだったのか…。

よくわかりませんが、なぜかその日以降はランドセルを自分から背負うようになりました。

 

些細なことですが、息子にとっては大きな自立の一歩です。先生方やお医者さん、カウンセラーさんなど、周囲の温かい支えがあって、やっと出てきた芽のひとつなのかもしれません

…相変わらず、ランドセル以外は全く持ちませんけどね。(-_-メ)

 

記事を読んでくれた皆さんにも、小さな幸せが訪れますように。

サラガドゥーラ メチカブーラ ビビディバビディブー♪

 

 

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